優しい妻たちへ
夫のポルノグラフィー依存症からわたしが学んだこと
匿名
配偶者がポルノグラフィー依存症の人は,ショックを感じているかもしれません。それを解決する方法が幾つかあります。
かつて,いとこのエミリー(名前は変えています)と話をしたとき,わたしは大きなストレスを感じていることを告げました。すると彼女から,「あなたが経験していることは知っているわ」と言われました。
わたしは,彼女が言っているのは若い家族の生活に見られる普通の忙しさのことだと思いましたので,夫が幾つかの問題の解決に取り組んでいることをはっきり説明しました。すると,エミリーはこう言いました。「あなたが経験していることは理解できるわ。わたしはブライアンでそれを経験したの。」
わたしはあ然としました。過去3年間,スティーブがポルノグラフィー依存症と闘ってきたことを,わたしたちはほとんどだれにも話していませんでした。エミリーがそれについて知っていることや,彼女の夫もポルノグラフィーと闘っていたことを,わたしは知りませんでした。わたしたちは自分たちの経験について語り合い,その多くが類似していることが分かりました。
会話の最後に,エミリーは,ポルノグラフィー依存症と闘っている人々がたやすく利用できるカウンセリングと支援はあるが,どちらかと言えば,最も身近な人々,特に配偶者とほかの家族はほとんど助けを得られないと,わたしに告げました。ヤコブが「感じやすい妻」と呼んでいる人々の打ち砕かれた心は,どうすれば癒されるのでしょうか(モルモン書ヤコブ2:35)。
自分と同様の状況を経験しているほかの人々を助けるために,わたしは自分が学んできたことの幾つかをご紹介したいと思います。その一部は自分自身の経験から得たものであり,残りは周囲の人々を観察した結果によるものです。状況はすべて異なりますが,これらの原則は自分の苦痛に取り組み,対処する助けとなりました。
主の近くにいる
わたしが学んだ最初の最も重要なことは,主の近くにいるということでした。預言者ヤコブはニーファイ人の男たちに彼らのみだらな行いについて語った後,「心の清い」家族に向かって語り,次のように勧告しました。「確固とした思いをもって神に頼り,篤い信仰をもって祈りなさい。そうすれば,神は苦難のときにあなたがたを慰めてくださる。また,あなたがたのことを弁護してくださ……る。」(モルモン書ヤコブ3:1)主の近くにいると,あなたは救い主だけが与えることのできる平安を感じることができ,またあなたと家族の助けとなる霊感と導きを見分けることができます。
それはあなたの過ちではないことを理解する
配偶者のポルノグラフィー依存症について知るとき,多くの女性は,自分を責めます。そして,こう考えます。「わたしがもっと魅力的であったら,もっと若かったら,もっとやせていたら,このことは起こらなかったでしょう。」この問題を自分のこととするのは容易ですが,これが自分の弱さや自分に足りない部分とは関係がないことをわたしは知りました。それは夫の努力にかかわることでした。
わたしはまた,自分の生涯でどんな悪いことを行ってきたのでこんな目に遭うのかとよくよく考えました。わたしは成長するために非常に勤勉で,従順であろうと努めてきました。初等協会や若い女性,セミナリーで賞を受けてきました。召しを受けて忠実に奉仕してきました。義に従う若い男性たちとデートし,交際には気をつけてきました。最後に,自分が望んでいるような人になるのをスティーブが助けてくれるという主からの強い確認を得た後,そのすばらしい帰還宣教師と結婚したのでした。わたしたちは結婚後間もなく,家族をもうけました。その後,わたしはスティーブの依存症について知ったのです。自分はどんな悪いことを行ってきたというのでしょうか。「何も行っていない」というのがその答えであることを,今わたしは知っています。
わたしは自分の人生におけるそれらの善い行いによって,自分が強くなり,御霊の導きを受けられるようになったという思いと持つようになりました。この試練は,罰やわたしの過ちの結果ではなく,むしろ成長への誘いでした。この状況にあるということは悲劇ではありません。わたしにとっての悲劇は,不必要に苦しむことであり,また救い主にもっと近づき,精錬する者の火によって清められた者となるこの機会を用いないことです。わたしは自分が学んできたすべての事柄と,今なっている自分について振り返ると,ありがたく思います。わたしは人の気持ちがもっと分かるようになり,裁く傾向が少なくなり,神の愛と人としての自分の価値にもっと信頼を寄せるようになっています。何とすばらしい賜物でしょう。
夫の問題を自分自身に引き受けないことも大切です。結婚生活が苦しく,未払いの請求書があり,至る所に混乱がある場合,これは難しいことです。善悪を問わず,あなたには夫の行動に対する責任がありません。サタンの方式は,すべての人をコントロールすること,また義に従うように強要することです。あなたの配偶者に彼の選択の自由を行使させてください。しかし,あなたと子供たちの扱い方については境界線を定めてください。
配偶者の永遠の独自性を理解する
夫が初めてわたしに打ち明けたのは,最初の子供が生まれてからちょうど1か月後のことで,わたしは信じられないほど傷つき,裏切られたと感じました。好奇心から出た1度の閲覧の結果がわたしたちの生活を変えてしまったのです。
わたしはスティーブの行動について彼が正直であることを認めながらも,彼に嫌悪感を覚えざるを得ませんでした。依存症が最悪の状態に達したとき,スティーブの個性は変わりました。彼はジキル博士とハイド氏のようになり,ほとんどの時間,ハイド氏のように見えました。わたしがかつて知っていた最も賢く,最も思いやり深く,最もおもしろく,最も忠実で,最も思慮深い人,すなわちわたしの英雄が,世をすねた,皮肉っぽい,下品な,人を操り上手な,自滅的な人になりました。彼は日曜日には最悪で,神にひどく腹を立て,わたしにとって大切なものをあざけりました。
スティーブは家族を経済的に支えることができませんでした。愛を感じることや表現することができず,ついには人間関係をはぐくむこともできなくなりました。大勢の友人がいたこの人は突然友人を失っていました。彼は絶えずわたしのあら探しをしました。
わたしの自尊心は打ち砕かれました。依存症のためだけでなく,突然に夫の目から見てわたしがすべて悪者とされたからです。長い時間かかりましたが,わたしはやがて,夫ではなく,天の御父がわたしの必要としている愛と支えの源であられることを知ったのです(スティーブが与えてくれたとき,それはすばらしいものでした)。わたしは自分自身を尊ぶこと,そして神の愛を受け入れることを学んだとき,自分の扱われ方について基準を定めることができました。わたしはそれまで自分を打ちひしいできた否定的なコメントを信じませんでした。そして,自分の気持ちをしっかり表明し,夫の行動に境界線を設けました。
実にこのすべてを通じて,わたしはスティーブが実際にどんな人であるかを知ることができるという祝福にあずかりました。ともかく,わたしは彼を,多くの価値を備え,多くの長所を持つ,非常に善良な人,すなわち,地上での重要な使命を帯びている人と知ることができました。苦闘していた人ですが,きわめて尊い人でもありました。スティーブとわたしに対する天の御父の愛を,わたしは感じたのでした。
わたしはまた,わたしが愛している以上に救い主がスティーブを愛しておられ,わたしが望んでいる以上に救い主がスティーブの悔い改めを望んでおられ,わたしの限りあるこの世の目で見て知っている以上に救い主がスティーブを御存じであることに気づきました。もしも状況が違っていたらどうだろうかと心を煩わすことを止めて,単純に救い主を信頼することが必要でした。
配偶者を赦すように努める
一部の人にとって,信頼と赦しは混同しやすいものです。信頼は行動に基づいて得られます。しかし,赦しは与えるように命じられているものです(教義と聖約64:10参照)。それでも,そのように個人攻撃して自分を傷つけた相手を赦すことは,難しいものです。いとこのエミリーは,自分の夫の行動を知ったとき,彼を憎んでいる自分に気づきました。彼女は感情的に夫に近づくことができませんでした。夫が悔い改めて何年も経った後でさえそうでした。彼女はわたしに,自分も御霊を感じられず,ブライアンの行いが絶えず心に浮かんでくると言いました。最後には,まったく惨めな気持ちになり,彼女は母親に打ち明け,すべてを話しました。母親は耳を傾け,その後,賢明にも無慈悲な僕のたとえをエミリーに思い出させました(マタイ18:23-35参照)。またエミリーに,ブライアンを赦すことができなくて,どうして導きと御霊と赦しを与えてくださるよう天の御父に求めることができるだろうかと言いました。その結果,エミリーは幾つかのことを考え直しました。その後,彼女はブライアンを赦すときに助けを受けました。そして,二人の結婚生活はかつてなく良くなっています。
自分を大切にする
エミリーとわたしは二人とも,自分たちの状況から来るストレスと,だれにもこのことを話せないという気持ちのストレスが原因で胃炎を患いました。このような個人的状況のことを話すのは容易ではありませんし,確かに言い広めてはならないことです。しかし,あなたが信頼できる人,あなたを支えてくれる人,あなたが物事を客観的に見られるように助けてくれる人を見つけることが大切です。わたしは友人たちと家族から言葉に表せないほどの平安と力を与えられました。わたしは彼らにいつでも泣いて話すことができ,彼らはわたしの家族とわたしのために祈ってくれたのです。
あなたは自分の選びで,家族と友人に話すことができますし,話さないこともできます。利用できる支援手段を調べるとき,ビショップや専門のカウンセラー,LDSファミリーサービス依存症立ち直りプログラム,地域の団体について考慮するとよいでしょう。しかし,信頼できる人を見つけることが大切です。経済状況が厳しい場合や収入がない場合,何らかの助けを得るようにしてください。自分のために助けを得ることは,伴侶に対する助けを得ることと同じくらい大切なのです。
この問題と闘っている多くの女性が,気力を失い,友人や趣味に対する関心を失い,自尊心を低下させています。あなたの永遠の独自性を忘れないために御霊に近くいてください。引き続き最高の自分であり,人々と交流し,運動し,好きな活動に参加し,新しいことを試みるようにしてください。(ほほえむことは言うまでもなく)たとえベッドから出るのが難しい日々があったとしても,肉体的,霊的,情緒的に健康であり続けることは,心の喜びと平安を見いだしてそれを家族と分かち合うために,自分が行える最善の事柄の一部なのです。
信仰をもって前進する
夫とわたしのこの長い旅路は終わっていません。その道は考えられないほどつらく,時には地獄のようにさえ感じました。しかし,聖文が慰めを与えてくれました。
時々,わたしは,救い主から癒しをいただきたいと望んだ長血を患っていた女性のように感じてきました。救い主の衣に触れるだけで癒されると思った彼女の確信を思い出すことで,わたしは強められています(マルコ5:25-34参照)。わたしは自分の弱さを感じていますが,救い主に手を差し出して人生の中で救い主の影響と力を受けようとする真剣な努力は報われるということを知ることで,慰めを得ています。
夫が贖罪に至る方法を見いだせるかどうかわたしには分からなかった最も暗い日々に,わたしは,友人たちによって救い主のもとに運ばれて行った中風の人の話から慰めを得ました。彼らがその病気の友人を屋根から家の中につり下ろし,イエスから癒しを得られるようにした話です(マルコ2:1-12参照)。わたしはまた,息子アルマについても思い出しました。家族は彼のために祈り続けましたが,若い時代に彼には明らかに悔い改めの気持ちがありませんでした(モーサヤ27:14参照)。この二人は,家族と友人たちの信仰のおかげで,悔い改めと癒し,さらに幸せに至る方法を見いだしたのです。
あなたの愛する人が変わることを望もうと望むまいと,あなたの家族に大きな変化が必要であろうとあるまいと,決して信仰を放棄せず,また家族のために祈りをささげるのを止めないようにしてください。救い主は,肉体的また霊的な最悪の病気でさえも癒すことがおできになるということを覚えておいてください。ハロルド・B・リー大管長(1899-1973年)は次のように教えています。「現代最大の奇跡は,必ずしも病める体が癒されることではありません。最大の奇跡とはむしろ,病める魂が癒されることです。」
わたしの夫の依存症に関連した長年の苦闘の後,ある日,わたしは神殿の礼拝堂に座って,家族に進歩が見られたことを心の中で神に感謝しました。オルガニストが「主よわれと共に」を弾いていました。心の中で「おお,とどまりたまえ われのもとに」という歌詞を思い浮かべたとき,わたしの目に涙があふれました。救い主は闇夜にわたしとともにいてくださいました。数年たった今,その苦しみを思い出すことは難しく,それを感じることはほとんどできません。子供たちに笑顔を見せることができないように思われたすべての日々を思い出すことは難しいです。夫からひどいことを言われたり,されたりしたことをすべては思い出せません。絶えることのなかった胃痛も思い出しません。しかし,アルマが救い主について教えたことは忘れません。「神の御子は,肉において御自分の心が憐れみで満たされるように,また御自分の民を彼らの弱さに応じてどのように救うかを肉において知ることができるように,彼らの弱さを御自分に受けられる。」(アルマ7:12)
希望と癒しが救い主の中に見いだされることを,わたしは知っています。救い主はわたしたちの重荷を軽くし,わたしたちの人生における風と波を静め,わたしたちの心に平安と喜びをもたらすことがおできになるのです。
質問に答える
ポルノグラフィー依存症になっている人々とその家族のために,どんな助けが得られるでしょうか。
教会には,ポルノグラフィー依存症になっている人々のために,またその配偶者ならびに影響を受けていると思われるそのほかの人々のために,LDSファミリーサービスが後援する支援グループがあります。詳細については,AddictionRecovery.lds.org,またはldsfamilyservices.orgをご覧になるか,最寄りのLDSファミリーサービス事務局にお問い合わせください。